2026/02/10

【concept building #013】

「理屈」と「感覚」
作品の核になる「フレーム」は極力理詰めで考え、コンセプトを埋め込もうと思う
しかし、その中で作品となる「ボディー」には「感覚に訴えるもの」、「言語化できない感覚を引き起こすもの」が埋め込まれてないといけないとも思う

「音楽とアート」
音楽はおそらく「理解」しようとする前に「感覚」に訴えかけ、「感情」が湧き上がってくるだろう
一方で、最近のコンテンポラリーアートは「見て感じる」という行為の前に「意味や理由」を考えないと理解できないものも少なくない
どうしても「感じる前に考える」という逆転現象が起きがちである

「理屈はわからないけどグッとくる」
バルトのプンクトゥムではないが、やはり「訳わかんないけど良い」的な言語化できないインパクトはやはり「アート作品」である以上もっているべきだとは思う

「グッとくるからこそ理屈が引き立つ」
なぜかというと、「理屈だけ」の「コンセプト重視」の作品の読解は確かに面白いし、自分も好きである
しかし、これでは一部のちゃんと現代アート、コンテンポラリーアートの文脈を学習した鑑賞者しか楽しめないものになってしまう

しかも、「コンセプト」や「作品の意味」というものは「あからさま」過ぎても面白くない
一回見ただけではわからないけど、何度か作品の前をウロウロしながら考えているうちに「そいういうことか」とわかる、という流れがおそらく作ってる側も見ている側も面白いと思う

しかし、「一回見ただけではわからない」というのが厄介だ
まずは「意味やコンセプト」は隠しておかないといけない
その上で、鑑賞のどこかの時点で「発見」されなくてもいけない
見つけづらくもしなければいけない、でも見つかってくれないと困る

「理解のきっかけ」
この「理解のきっかけ」は作品中の何らかの「ズレ」や「違和感」であることが多いだろう
「何でここだけこの色なんだ?」「何でここだけ抽象的なんだ?」

こういった「一回見てわからない」作品について、「理解へと導くきっかけ」をどう設計していくか、どう組み込んでいくかが作品制作において非常に重要な部分ではないかと思う

アドベンチャーゲームでも「程よく探せば見つかる鍵」であることが重要だ
簡単に見つかりすぎてもプレーヤーは楽しめないし、あまりにも難易度が高いとプレーヤーはげんなりしてやめてしまうだろう

ここの匙加減や仕組みづくりがおそらく抽象作品の肝となるだろう
作品によっては「意味すらない」「理解や解釈を拒絶する」ものもあるが自分の作品には明確な意味や意図があるので、それをどう組み込んで、発見に導くかは重要だ