Statement (Tetsu Osumi)
なぜ壁面なのか
15年前に本州で10年働いた後に札幌に帰ってきたとき、札幌の街があまりにもわからなすぎたため、学習のため写真を撮り歩いた
その撮影の間に、有名ではないレンガや軟石造りの歴史的建物が街に点在していて再利用されていることに気づいた
それ以降、街にひっそりと残されている歴史的建造物を探し始める
かつてのレンガのりんご倉庫、石造りの倉庫や蔵、様々な建造物が現代の街に溶け込み、店舗として利用されている「共存」に興味を持った
最初は「古い建物全体」を「新しい街並み」と共に記録的に撮影していた
レンガと北海道
レンガは北海道の象徴的な建材の一つである
明治期から開拓が本格的になったので、他の地域のような数百年前から存在するような木造建物がない
開拓当時は西洋技術導入の影響で札幌の街並みは洋風建築で溢れ、まるで日本ではないような街並みであったそうだ
「道庁の赤レンガ」や「ビール工場の赤レンガ」など、ある意味「北海道」というものを象徴する建材であると思う
人工物であるレンガの自然さ
レンガのもう一つの特徴は人工物なのに自然っぽい、ということだ
一つ一つのレンガの形の不規則さ、手作業で積み上げられる際の不規則さの中にどことなく自然を感じる
元々土とか石から作られているのでそもそもかなり自然に近い素材である
最初は「都市部に新しい建造物と共存している歴史的建造物の面白さ」に着目し撮影していたが、それに加えて「都市の中に存在する自然の要素としてのレンガや軟石」にも注目するようになった
画面を埋め尽くす撮影方法
そのうち、レンガや軟石の建造物の「壁面」が持つテクスチャに主眼を置くようになり「画面全体を壁面で埋め尽くす」写真を撮り集めるようになった
建物全体の「形状」よりも「建材であるレンガのテクスチャ」や「個々のレンガの歪な形や色のムラ」、「壁面の傷やシミなどの汚れ」などに重きを置くとすれば、やはり画面全体を壁面で覆い尽くした方が効果的だと思った
そもそも自分は「モノの形」よりも、その「色彩」や「テクスチャ」、「雰囲気」の方に関心があるので、これは当然の流れだったのかもしれない
現在行っているプロジェクトは「形を取り除き、色彩のみを抽出する」というテーマであるが、そもそもルーツはここにあったような気がする
特定の構図の意味
写真の画面全体を壁面で埋め尽くすような撮影スタイルを取っていたが、そのうち「アメリカ国旗」のような構図でも撮り始めた
なぜ「アメリカ国旗」のような構図で撮影しているかというと、壁面を撮影し始めた初期のころに撮った一枚の写真がジャスパージョーンズの国旗のように作品に見えたからだ
それ以降同じパターンで撮影、「構図が揃っていく」ことで、結果的に作品群にタイポロジー的な要素が埋め込まれていった
同じ構図にしたメリットはそれこそタイポロジーの王道的に、窓枠のデザインと壁の素材やテクスチャーの違いがわかりやすいということだ
昔の建物は画一化されておらずそれぞれに個性があったことがわかる
レンガの積み方も「イギリス積み」や「フランス積み」など何種類もあるし、それぞれのレンガの風はいも建物によって異なる
一気に同じ構図の写真が「グリッド状」に規則的に並ぶことで、「これらの差異」を明確に感じ取ることができる
タイポロジー的アプローチ
これを考えると三人の中で一番「タイポロジー」的な見方ができる作品と言える
被写体そのものの記録を目的としているので、タイポロジー的「比較と分析」に重きが置かれている
一方で、同じ構図で機械的に撮影はしているが、対象そのものへの愛情があるので、そこまで「無機質」「無感情」にはなりきれてはいない
「窓への映り込み」や「窓の中の情景」、「カーテン」など、周辺にあるふか的な要素も取り込まれている部分もある意味「人の存在」や「生活や歴史」、「周辺のものとの関連性」などが映し込まれている
自分は「壁面のテクスチャ」だけではなく、それらの建造物が「まだ生きている」という部分も写し出したいのだ
アートへのオマージュ
もう一つこの作品群の中に埋め込まれている要素は「アートへのオマージュ」である
構図は「ジャスパージョーンズの国旗の作品」、規則的な配置は「タイポロジーフォトグラフ」や「ドナルドジャッドのミニマルアート作品」を意識している
スクリーンとしての壁面 (コンセプチュアルな部分)
「壁面」を一つのスクリーンとすると、そこには「物理的なテクスチャ」以外にも様々なものが投影されている
一つは時間の経過の痕跡である
長期間、日光や風雨に晒されたことによる汚れや傷、様々なシミなどによって普段は目に見えない「時間が可視化」されてゆく
それに加え、それぞれのレンガのいびつな形や色のムラ、ちょっと不規則で完全な直線ではない重なり方、これらすべてが「レンガ製造時の痕跡」「積み重ねていったときの人々の活動の痕跡」を映し出している
時間の超越
自分が撮影しているレンガの建造物の中には「明治時代」から存在しているものもある
「小樽の富岡教会」の壁面の写真を見て思ったのが、「もしかしたら自分の祖先もこの壁面を見たかもしれない」ということだ
自分の祖先は、京都から北海道の今金に入植したのだが、その時一緒に入植した人々はキリスト教徒だった
今金の後は余市や倶知安などの後志地方に住んでいたようなので、何かの機会に小樽に来ていたとしたら、この教会にも訪れていた可能性がある
もしそれが現実だったとしたら、まさしく時間を超えて「自分と祖先が同じものを見ていた」ということになる
境界としての壁面
壁面は「建物の中と外を分け隔てる境界」である
その他にはどのようなものを分け隔てているのだろうか
レンガや軟石、木材といった自然由来の建材に限って考えると、むしろ「何かと何かを隔てる」というよりも、「境界を曖昧にしている」のかもしれない
自分は札幌市という人口190万人の大都会に住んでいる
札幌は人口100万人を超える大都市の中では自然や緑は多い方だが、やはり都市部は他の都市と同じくコンクリートのビル群とアスファルトに覆われ、有名観光地である「札幌時計台」もその都市景観に囲まれた姿から「三大がっかり」と呼ばれる始末だ
そのような環境の中で、自分は「レンガや軟石」の建造物を見ると、都会の中のオアシス的な「自然の存在」を感じるのだ
「レンガや軟石」は「人工物と自然物」という境界を融解させる存在なのかもしれない
デジタル写真とレンガの建造物
建造物の作成方法としては伝統があるレンガ造りだが、実は新しい技術である「デジタル写真」と共通点がある
レンガの建造物は「最小単位であるレンガ」を順番に積み重ねることで、一枚の壁面を作り出してゆく
それと同じように、デジタル写真も「最小単位であるピクセル」を順番に積み重ねることで画像を作り出してゆく
一見、全く異なるものに見えるものの中にも、こういった「類似性、等価性」を見出すことができる
単なる標本ではないタイポロジー作品
先ほども述べたが、この作品群は「タイポロジーフォトグラフ」の一種だが、機械的に同じ構図で撮影されてはいる割に、ベッヒャー夫妻の作品ほど無機質で作家性や感情が消えているわけではない
やはりカラー作品ということもあり建造物それぞれが「違い」を全面的に前に押し出してきている
建造物全体像を淡々と撮影すれば同じように「無機質」になったのかもしれないが、構図にも作家の「好み」「選択、選別」の意図が強く出ているので「単なる標本ではない」作品になっているのだろう