スティーグリッツの equivalent という雲の写真。
secret page 01でも述べたが、Chat GPTの説明によると equivalent という名前が付いた理由は

『それらの写真はそれらを鑑賞したものの中に湧きあがった感情や思考と同一のものである』

と提示するためであったようだ。

これは鑑賞者の中に生まれる感情や思考だけでなく、『写真は撮影者の感情や思考と等価である』ともいえると思う。

撮影者は何らかの意図やコンセプト、作品により表出させたいイメージを頭の中に描いて作品を作るので、『写真=撮影者自身』という構図は当然成り立っていると思う。

しかし、それ以上に『撮影者すら気づいていないような深層心理に埋没した無意識的な思考』すら『写真はあぶりだしてしまう』のではないかと思う。

このページに掲載している写真は、Straitht Line というシリーズの一枚で、都市空間の直線と自然界の曲線を対比させる目的で撮影したものである。

このころは自身が都市生活者であるということもあり、『都市と自然の共存関係』という名目でステートメントを作成していた。

しかし、あるポートフォリオレビューで、写真家の方にシリーズを見ていただいた時、この冒頭の写真に関して『これは共存ではなく、あなたは自然側にいて都市と対峙している』という指摘があった。

ステートメントは『共存』というテーマを掲げていたが、当の写真は『まったくもって共存』を描き出してはいない。
撮影当時は気づいていなかったが、確かに木々の間に埋もれるように都市が描かれていたら、自然優位の思想が見えてくる。

『都市生活者』として自然側に立って何かを表現することに対する後ろめたさのような感覚があり、『言い訳的に共存』という言葉を使っていたのだ。

いくらコンセプトを決め、ステートメントを書くことで理屈や思想を構築しているつもりでも、『写真はやはり自分自身をあぶりだすものだ』と、このときはっきりと理解した。